愛ある行為

どんなにあれこれ思っても
そのままを受け入れることが愛の第一歩

そしてどんなに自分の気持ちがついていっていなくても
行動し続けるのも愛のひとつ。

言い訳やうんちく、おせっかいな意見は抵抗の姿

それをよしとするな。

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反応と対応

アダルトチルドレンのための良書「毒になる親」を再読してたら

反応と対応の違いについての説明があった。

つまり、親の言葉や態度に即座に反応しているのはこどもの部分

自分の感情が相手にコントロールされている状態であること。

それに気づきながら、違う行動をするのが対応だ。

どうしても怒りにまかせたいという欲求が強いのが通常のことだし、
対応できるようになるまでに自尊心を高めたり、自我を強くしていく必要もある。

自分の力でコントロールし、選択する強さがあれば、恐れることはない。

それまでの時間は人それぞれ

あせらず取り組む道なのだ。

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反応

気付いたらよく考えていることは何なのか

自分が反応した人の言葉はどんな言葉で、何がそう反応させたのか

他人の何をみて、気になるのか


世界に向かうとき、常に何かに反応しながら生きている

反応していることについて客観的にみるとき、気付きがある

それは終わることがない

こつこつと地道にやっていく作業

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ギブ&テイク

比較的最近、エンジェルカードで「ギブ&テイク」のカードをよくひく。

マウイ島から来られたロミロミのヒーラー、テリー・チューさんがワークショップの中でこんなことを言っていた。

「今、与えられることばかりあっても、他で与えるチャンスは必ずやってくる」というようなこと。

よく、あの人にはよくしてもらうから必ずお返しをしなくちゃとか、あの人からは何ももらわないでうばわれるばかりだから、何もしたくないという関係性の中でのギブ&テイクにこだわることが多い。

ふと思ったのは必ずその場で貸し借りなくしたいというのは本人の満足感だけではないだろうかということ。

返すチャンスがあればそうすればいいのだけれど、無理やりみつけてどうしても何かしようとする必要はないのではないかとも思う。
相手が別にそうされたくないと思っているのであれば。

本当のギブ&テイクは受け取ることに引け目や申し訳なさを思わず、喜んで受け取ること、与えられるチャンスがあればその人が自分に何も与えていないことに関係なく、与えることができること。

このバランスがどこかでとれているという状態のことではないだろうか。

それはきっと神様がそのタイミングを与えてくれているはず。

だれかから与えられて、だれかに与えること そのだれかに縛られないで、感謝して受け取り、与えるチャンスがきたことに感謝するということが大切ではないかしら。

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言葉とこころ

言葉には魔法がかけられている。

相手の言葉に悪気はないけど、力をうばわれるように感じる言葉。

自分も相手にそのような気はないのに、受け取り方で傷つけてしまう言葉。

言葉という形になるまでのこころという材料は本当はとてもデリケート。

それを守るための言葉かもしれない。

その守りの言葉に動かされるこころ。

それを発したとしたら、誰がどんなことを感じるだろうかという葛藤の末、届ける言葉には愛がある。

言葉にはきりがない。

そこに動かされるこころたちをみることだけがこころを成長させてくれる。

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存在

他者にとって、自分はとるにたらない、あまり役にたつこともない存在だと人は思いがちだ。

とくに相手が大変なときに、何も変わることが出来ず、

そばにいるだけというのは役立たず感も強い。

こんなことでいいのかとか相手に何もしてあげられないことにいらだちもあったりする。

しかし、逆の立場にたったときにはじめてわかることだが、

自分のためにそばにいてくれるだけの人のなんと貴重なことか。

つらいときであればあるほど、その存在は大きい。

何をするでもないけれど、何もしないでそこにいてくれることがもっとも必要であることがわかる。

だから、存在することはその人のもっとも愛のある行為なのかもしれない。

それがわかっていると他者のために自分も何か働きかけることができるという自信もわいてくる。

存在すること

それだけでいいということ。

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支え

ひじょーにつらいとき

一人になりたい人と誰かにいてほしい人がいる。

どっちもありで、段階的にそれぞれ希望という場合もある。

わたしはいまは誰かにいてほしい。

乗り越えるのは自分のちからでおこなうけれど

ひとりで耐えるのは難しい。

ひとりにならないといけないというのは防衛ということになるらしい。

人に頼るということは即依存と思う人もいる。

でもけっきょく自分ひとりでなんとかしないといけないのは変わりない。

だったら感情的に支えてもらうことにゆだねてもいいと思う。

弱さを人にみせることができるのは勇気のある行為でもある。

けっして一人になることが出来ない人は一人でいることに耐えることも必要かもしれない。

そこはバランスだけど、そばにいる人間が依存させないで、支えに徹していることが大事かも。

人はひとりではあるけれど、ひとりでは生きられない。

ひとりきりで耐えないでほしい。

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自尊心

数秘術でいうと今年の自分の個人数は1の年ということもあるせいか、
今年は「自分自身」のほうへ完全に目を向けられている。

自分のことをある程度プロセスが進んだところで、
ふっと思うのはそのことが自分の仕事なり、まわりに対して
反映を必ずされること。

なので、自分のことだけやっているようでありながら
まわりに影響を与えることが出来るのだということを
あらためて実感した。

自分を尊敬すること、自分を大切に愛することは当たり前のようだけど、
一番おろそかにしがちなこと。

自分より人のために手助けしたいとか
自分にダメだしし続けたり、頭で考えず本当の声を聞いてあげよう。

もしかしたら自分で自分をそうとう痛めつけていることへの悲しみとか怒りが出てくるかもしれない。
そうしたらまた自分に対していたわる言葉をかけてあげて認めてあげよう。

自分を救うことはたぶん一番この地球のためにも必要なことだと思うから。

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最近のテーマは「水」。

イメージは水で洗い流され、充分に潤された大地で何かが生まれるのを待っている。
生まれた創造性のエネルギーを最大限に肉体に通して、表現する。

イメージのゴールの前にどうしても水が必要。

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傷つきやすさ

自分の傷つきやすさに気づく。

守ろうとせずにその傷つきやすさと共にいる。

その奥にある強さに触れるまで。

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不安でいること

ときどき隅っこによぎる不安をつかまえずにいること。

それはまだおこっていないことだと認識すること。

必ずうまくいくと繰り返すこと。

大きな木に会いに行くこと。

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育てること

最近読んだ物語で「傷を育てる」という言葉から

それを育てることにすればいいんだという気付きがあり、

いまは人との関係性を育てる ということに関心がある。

その人が好きであろうと嫌いであろうと関係をもつことになれば、

それは育てる対象なのだ。

逃げるのでもなく、感情を抑えるのでもなく、

その関係を育てる可能性について考える。

必要な学びを経て、関係がなくなることもあるかもしれないけど

必要があっていまここにある関係は

きっと育つことを望んでいるんだと思う。

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希望

希望は前向きな気持ちにさせる。

希望は暗闇の中にふっとゆらぎはじめた灯りである。

希望は今ある状況を変えるものではないけれど
今ある状況を違ったふうに見せてくれる。

希望は確かな道をしめす。

希望はこころを落ち着かせる。

どうすれば希望の灯りがみえるのか。

希望は隠されている。

見つけるのは自分しかいない。

ないわけではない。

必ずあるものであると信じることから始めるのもいい。

希望は現実になるためのステップだから。

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メッセージ

身の回りにおこってくる出来事やよく聞く言葉などは
いろんなメッセージがある。

わたしは自分の仕事のあり方について考えさせられるような
ことが多いけれど
自分のパターンだったり、バランスだったりすることもある。

ときどき耳をすませてみよう。

今おこっていることはどういうことなのか。

そしてそれに気づいたなら行動をおこすこと。
気づくまでは誰でもできる。

パターンを変えるということは
勇気を持って行動をおこすしかない。

判断を加えずに動くことが出来てはじめて
メッセージは伝えられることになる。

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準備

はっきりとした感じではないけれど
準備をしなければならないと思う。

何から手をつけていいのかわからないけど
目の前にあるものを少し片付けるところから始めよう。

ぼやーんとしたやりたいことが本当に確実に出来るのかどうか
わからないけど、準備を始めなければならないということだけは
あって、気づいた順から目を向けていくだけ。

すでに見えないところでは動いているのかも。

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見せたい自分となりたい自分

人にどう見られたいかと思っていることと自分がどうなりたいと思っているかは別もの。

でも人にどう見られたいのかがなりたい自分になっていることがある。

そうすると傷つくことも多く、終わらない悩みを抱えたかのようになってしまう。

あるいはそう思っている人もいることを知っておくこと。

でないと簡単に人を傷つけることもある。

だからとても難しい。

いったい自分はどうなりたいのか考え続け、見えなくなることもある。

でも答えはシンプルで実はわかってること。

自分がどう見られたいと思っていたのか突き詰めていくと

なりたい自分が見えてくるかも。

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予定

自分の意図した目的までの道程はすべて予定通りに駒が動かされる。

自分が目前で動かしたい駒とは別の駒が動かされ、

違うルートになることもある。

しかし、それは予定通りなのだ。

ゴールは必ずそこで待っている。

いかに駒をスムーズに動かすことをじゃませずにいられるのかが

私たちの課題である。

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本質をみること

良い人と悪い人という見方をすると自己防衛が強くなる。

善悪とか考えていないといっても
無意識に善悪な見方をしてしまうことも多い。

こういう人たちといっしょにいるとよくない影響を受けてしまうという考えは
人を善か悪かで見ていることになる。

そうすると確かによくない影響を受けるだろう。

あるいはすごく信用している人の意外な一面を見たときに
もうこの人とつきあえないとかその人への見方ががらっと変わるということもありえる。

それはすごく信用していたところにジャッジが入っていたのではないか。

そんなところで人とのつきあいにはいろんな難しさがつきまとう。

防衛を固めることなく、仮面で固めることなく、自然体で人とつきあうというのは
どういうことか。

どんなときにも人をジャッジしないということだ。

この人はこんな人という見方も過度にすばらしい人と思いすぎることもなく
人を見る。

自分が嫌だと思っている人とつきあえというのではなく
人の中に自分を見て、その人の中に光を見ることは常に自分につながることだ
と知ることだ。

本質の中に真実がある。

なかなかジャッジをしない見方など難しいかもしれない。
でもどんな風に人を見ているのか検討することは出来る。
傾向は知ることが出来る。

枝の選定のように少しずつ整えれば
きっとうまく芽吹くだろう。


yuribara

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ビジョン

よく晴れた朝はこころをクリアにしてくれる。
目にうつるものが輝いていたり、片付いていたり、何も余計なものがなかったりすると
常にこころは満たすべきものを受け入れる準備ができる。

何か迷いが多いとき
美しいものを見る、より大きく輝くものを見ることが出来るように
リストアップしておくのもよいかもしれません。


fuji

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2つの選択肢

いろんなところで書かれてあったりするけれど
いつも自分に問いかけていなくては忘れてしまう。

自分はどちらを選択するのか。

人はいつも2つの選択肢が与えられている。

今その状態が自分の力ではすぐに変えられないとき
今現実の環境の中で
不幸に思いながら生きていくのか
不幸と思わずに楽しく生きていくのか

一見不幸だと思われるような環境は必ずしも
その人を不幸にするものではない。
不幸か否かはその人の選択による。

つらいなあと思いながら、いや、楽しくしなくてはという
のは少し違う。

不幸だなあと思いながら生きていくのもその人の自由

でももうひとつの選択肢があるということを知ると
可能性は広がる。

もうひとつの選択肢をとると
意識的に生きなくてはならない。
受身になっていると無意識に落ちていく。

イメージの力をどう発達させるか
翼をどんなふうに広げていくのか
楽しい作業じゃないかなあ。

さてどちらを選択しますか・・?

Hangman

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うねり

sora1101


sora31101

大きなうねりがやってきている。

冷静にその中に居る。

日々が穏やかに過ぎていく。

見えないところではうねりに備えて準備をしている。

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寛容さ

urokokumo


まわりにいる人に過去の自分をみるときがある。

属しているようで属していない
そしてそのことを気にしている自分

そう考えるとしっかり成長したもんだ。

どう変わったのかあまり自分ではわからない。

他人の中にある何かに気づいて
自分の変化を感じるようだ。

以前ならこう思っていたかも・・・と。

その人にあたたかく見守ってあげたい。
そうして少しずつ寛容になっていくのかも。


himebara


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何かを手放すこと

やりたいことを並べても
今それが出来ない場合がある。

やれないことはないという思いはあっても
それがうまくまわっていかずにひずみが出来てくるならば
そのやりたいことは執着になっているようにも思う。

そんなときいったん手放す必要があるのだろう。

気持ちはこうしたいと思い、あきらめてはいないけど
もっといい形でそれに再開し、再びやることが出来るかもしれない。

なかなか未練がましいのだが
手放したくないものを手放すのには思い切りがいる。

手放すタイミングを決めるのは自分
新しいことを手がけるタイミングを決めるのも自分
大きく踏み出すタイミングを決めるのも自分

何かを始めるのはいつもエネルギーが入ってくる感じはするが、
手放すときは喪失感がつきまとう。
やめるとかあきらめるといった負けたような感じも伴って
さらに手放すことが難しい。

「あきらめずにやりとおす」というよく聞く言葉から逆らっているように
感じるからだ。

あきらめずにやり続けることと同じくらいそれをいったん手放すことを
決意する力もエネルギーを要している。

それはどちらをとっても大変なことだ。

私は何かをやめたり、あきらめた人をときには祝福したいと思う。
その痛みがあるから得られるものがあることを知って欲しい。
失ったものにフォーカスするのではなく、神様を信頼して
あらたなスペースを作る勇気を持っていることを知るべきだ。

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私の生きる道

楽しむことを恐れてはいけない。
自分のハードルをいつも高くする必要はない。

楽しむことは怠けることじゃない。
むしろ楽しめないことのほうが生きることを怠けいてるかもしれない。

楽しめないとき、なぜそれが楽しむことが出来ないのか
楽しみながら、成長していくことも可能なのだ。

縛られた目に見えないからまった糸を解き放し、
生きた時間を取り戻そう。

それをあきらめたり、避けるのではなく、
自分が楽しめる方法を探そう。

必ず道はあると信じて


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ライナスの毛布

自分が好きなものは自分のすべてではない。

自分の外にあるものは全部自分だとしよう。

どれをとってもなじみがないので自分のような気がしない。

なじみがないものでも手にとってみると

ちょっとした反応がある場合がある。

なんかおもしろそうとかすごく嫌いとかもしかして好きになるかもとか

その反応が新しい自分として迎えられたら

ちょっと世界が広がる。

なじみがないものに触れる勇気

なじみが深いものを手放す勇気

どちらも境界線上にあって

自分を大きくするのも小さいままでいるのも自由

何に縛られ、何にこだわり、何に恐れているのか

こういうスタイルが好きな私という枠から出なくてはいけない時

それは成長しようとしているときにいつかはやってくる

ライナスの毛布を投げるとき

違和感を感じている自分を受け入れよう

いつか自分の一部になるから。

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あの空の向こう

黒い雲におおわれた空を見ていると
そこにはそれ以外のものは見えない。

でもその向こうに青空と太陽がいつもあることを
私たちは知っている。

さらにその向こうにはいつも星が輝いていることも
私たちは知っている。

そんな風な当たり前の事実として
目に見えないその向こうにそれがあると
信じることを試してみてもいいのではないだろうか。

いつも青空や星がその向こうにあるように
いつも存在している自分の揺ぎ無い未来を
信じることで初めて動き出すことが出来るのだ。

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迷宮

こういう選択もありだなあ・・と頭に浮かんだら
多分、意識は猛烈な勢いでその選択に向かっているような気がする。

しかし理性では
いや・・まてまてとそうじゃないほうが
どんなメリットがあるのか諭そうとする。

こっちを選択したときの自分はどうなるのか
何度かシュミレーションをする。

あまり明確な答えは出ない。

あとは自分の意志の力で決断するだけ。

決断までの猶予をもたせていると
ぐるぐる回りだす。

迷い子がどうも目に付く。

それは彼らが迷っているだけでなく、私が迷っているのだ。

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優しさ

「人に優しく」という言葉を子供のときに一度は聞いたことがあるかもしれない。

「人に優しく」は「自分に優しく」なのだ。
これをもっと子供にも言い聞かせれば
自分が犠牲になって、疲れることはないかもしれない。

「人に優しく」も「自分に優しく」も甘えさせることではない。
成長のない優しさは「優しさ」とは言わない。

相手の意向に沿うように振舞うことでもなく、
いつもいい人でいることでもなく、
感情を出さないことでもなく、
やらないといけないことから逃げることではなく、

正直に自分をみつめ、相手を受け入れ
愛で潤すこと。

「優しさ」は強くなければ表現できない。

一見、きびしいと思われるようなことも「優しさ」からくることがある。
「優しさ」は「愛」に置き換えることが出来るかもしれない。

ありのままの自分からあふれる優しさが表現できるように
もっと自分に優しくなれますように

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気づき

「気づく」ということはどういうことだろう。


あることについて考える時間をとる。
なにも答えが導かれない。

他の人とそのことについて話をする。
その人の言っていることを聞く。
それについて感じたら話す。
繰り返しているうちに話している自分の口から
答えが導かれて気づくことがある。


またあることを考える。

その後、本を読んだり、テレビを見たりしていて
その中で言われていることにヒントを得て
ある気づきが生まれることもある。


そしてまたあることについて考える。

すっかり忘れて体を動かしたり、何かに取り組んでいたり
何も考えない状態があって
また何か考えようとする。

そんなときにふっとわかることもある。

あるときは夢や無意識の中にいるときに
何かを見つけ、後で理解することがある。

たどり着く場所はわからないけど、
生まれたものが何なのか理解できたときに
「気づき」として現れる。

「気づき」は無意識の大きな池に
釣り糸をたれて何かが釣れるのを待っているような感じだ。

そこから何かが釣れたときに
意識している自分の中に統合される。

少しずつ釣っては自己の拡大化に貢献する。

そのためには釣れるのを待つための時間が必要だ。
釣り糸をたらすことも必要。
釣ろうとする意志がなければ
気づくこともない。

気づいている部分はよく氷山の一角だという。

気づくには時期がある。
気づいてはまずいから気づかないようにしていることもある。

必要なときに必要な気づきが得られるように
お願いをしよう。

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中心にいること

揺るがない自己の中心にいると
影響されることがない。

感情を持った人間だから
揺れることはある。

必ずある。

自分にゆとりがないと
もっと揺れる。

自分にゆとりがあると
相手のゆとりのなさを待つことが出来る。

春という季節は不安定になりやすい。

大きな木といる機会を持つこと。
振り子の中心を意識すること。
大地と触れること。

ここにいること。

普段より余計意識してもいいかもしれない。

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羅針盤

自分が今どこにいるのか

どこへ行こうとしているのか

選択するのは自分

流されてはいけない

決められない

わからない

という状態でも

たどり着きたい場所は見ておこう

星が道しるべをつくるから

その星を印してくれるのは神様

見つけるのは私の仕事

私の意志は神聖なものであることを知っておこう

だから選択することをためらわないでいてほしい。

星が空に輝く限り

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愛の流れの中

流れの中にいることは流されるだけでいることではない。

自分が流れたい方向を知っていて、それをたえず祈りの中に意図しておくことだ。

そして何も考えずにそれを手放すことを繰り返す

自分が願ったことが叶うかどうか考えることなく、

忘れるのはときにはとても難しい。

それはものすごく願っていれば願っているほど。

でも願っていれば願っているほど自分の意思でなんとかしようと
してしまう。

神様を信じることが出来ないから

不安だったり、苦しかったりする。

ものすごく願っていることなのに

それを受け取ることにとても恐れを感じていることもある。

それを受け取ることをどうか私に許してください。

あなたの愛の中にいることをどうか自分に許せますように。

願いは必ず届けられる。

そのことを知っていれば簡単に手放して

その循環の中に入ることが出来るから。

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他人が気になること

人が気にすることは個人によって違うけど
たいていとても細かいことでひっかかるようだ。

なので自分もそうだし、他人もそうなので
ひっかかり具合が微妙にからみあう。

その細かい気になることを通してその人を見るようになる。

本当のところ気になっている相手よりも気になっている事柄が
自分のなにかを刺激していることになる。

相手を理解し、思いやる気持ちを持つことも大事。
自分が気になることがあれば相手に伝えることもあれば、
自分の中になにがあるのかみることも大事。

折り重なっている人の想いが「重さ」にならないように
胸が苦しくならないように
解き放っていく作業が出来るといいなと思う。

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豊かさ

「豊かさ」「受け取ること」「スペース、余裕のある器」というのがなんとなく今年のテーマ

豊かといっても具体的にどういうことが豊かなのか

朝、聞きなれないような鳥の声が美しいと感じて聞き入っている時間

朝日や夕日をみつめているとき

自分が苦しいときでもまわりが見られる余裕

受け取ることがスムーズできる、躊躇なく手をのばすことができる

たくさんの色彩を使って絵を描いているとき


他にもいろいろあるだろうけど、

常に感謝の想いを持つことも余裕がないと出来ない。

こころの中に楽園を持つこと

その楽園で育った果実はいつでも分け与えることができる。

果実の種はまた芽を出し、豊かな緑となる

あふれるエネルギーは大地からもらい、

不必要なものは川から大海へと流れていく

楽園の中は常に循環しながら、無限の園をつくりだしている。

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喜怒哀楽

本当の喜びは

怒ったり、悲しんだり、落ち込んだりすることで

得られる

だから怒りや悲しみ、落ち込んでいることに罪悪感を感じる必要はない。


どうしてもネガティブな感情だから避けようとする

あるものを得るためには必ず苦労しなくてはいけないという神話は

捨ててもいい。

そんな考えがあるのでなんとなく混乱がある。

わざわざ苦しむ必要はないと私も思う。

出来れば自分にとって無理のない方向で行きたい。

苦労はしなくても努力は必要

また、ネガティブな感情は苦労同様味わう必要はないという考えも

あるかもしれない

でも感情は常にある

なくなることはない

しかも感情はフルに味わうべきなのだ

楽しいことだけ選択して生きることは出来る

でもそこに本当の喜びがあるのだろうか?

感情をフルに味わう体験は自分がやりたい方向へ進む過程の中にある

無難な安全な道を選ぶのではなく、自分が本当にやりたいことを選ぶ

自分が本当にやりたいことは、少なくとも自分にとって無難な安全な道ではない

その目的があるからこそ、ネガティヴな感情を受け入れることが出来るのかもしれない

感情をフルに味わうということは

自分の意思を貫くことでもある

そして必ず最上の喜びを手にすることでもある

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やる気

「やる気がないときはまずやってみること」

それでもやる気なかったらやめ。

50%かそれ以上はやってみたら嫌ではないことが多い。
考える時間が多くなるとやる気がなくなるだけ。

それをやる気に持ってくるには
「楽しい」をインプットしなくてはならない。

その行為の中の楽しいと思われる面を探す

それは次第に人生の中の楽しい面を引き出すことになる。

つまりは「楽しい」と思えることを探すのは今を生きられることにもなる。

「楽しくないこと」を探すのではなく、「今やっていることの中で楽しいこと」を探すこと。

楽しくなれない理由を考えるのは後でもいい。

それでも考えたくない場合、「やる気がないときはまずやってみる」と言い聞かせ
やってみる。

やはりやりたくなければやらない。

それを繰り返すうち気分が変わるかもしれない。


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見晴台

動いているか、動いていないかしかないけれど、
動いているときたまには立ち止まることも必要。

休むということも兼ねているけど、
点検のようなものも兼ねている。

自分は今どこにいるのか。

人生の目的をどのくらい達成しているのか。

ずっと動いているのに、目的が常に遠いところにしかないのなら
修正しなくては。

大きな視点で見るには高いところに上って上から見ないと
わからないことが多い。

見晴台にはたまに行こう。

空気をいっぱい吸って、

鳥のように見渡して

自分がいる場所を確認する。

そして進むべき道を強化するのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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揺れるこころ

こころが揺れているとき

実は日常の中で多かったりする。

揺らぐことなくなにもかもまっすぐ進むことができれば

いいのかもしれないけど、

揺れている過程も案外嫌いではない。

「理性のゆらぎ」なんて本があったけど。

揺らぐのは

新しい自分を知っているから

可能性を知っているから

その揺らぎの中、揺らぎながらも

歩んでいくこと

しだいに地震の余震のように

だんだん小さくなっていく

大切なのは揺らぎながら

歩むこと

一歩、一歩歩むこと

揺らぐこころがときどき大きくなったり、なくなったりするのは

人の言葉だったり、態度だったり

自分とまわりとの関係からくる。

そこで自分が試されている

でも揺れることがなくなるのは

進む過程で得た絆の深さゆえではないかと思う。

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信仰

拒絶感をどんなに味わっても

自分を愛してくれる存在がいることを信じること

それが信仰なのではないかと思う。

それは神や自然、地球であったりするかもしれないけど、

自分をいつでも、ただ受け入れてくれるものがあると

気づくと生きることができる。


出来ればそれは人も含まれてほしい。

欲が生まれると揺らぐことも多い。

センタリングするにはなにもない私と自然に返ればいい。

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夢のメッセージ

なんか計画をまったくたててないのに
あやふやなまま進めて、なんとか進められるという夢をみた。

目的に向かうためにはまず計画という私にしては
この夢はそうしろということなのかもう少し別の意味を含んでいるのかわからない。

その前は事務仕事をやっていて、
急ぎの仕事でないのに朝6時から夜の8時まで働くように
言われてびっくりする夢をみた。
それでこれは急ぎですか?と尋ねたら急ぎではないという。

急ぎじゃないのに無理な労働をさせられる
なんだか嫌な夢だ。

仕事や作業の能率、心と行動について見直すことかもしれない。

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感情を受け入れる

感情は流すもの

流せるようにしてほしい。

日常生活の中で支障があるからといって

本当は抑えておくべきではないけど

その感情がわきでてくることを許してあげてください。

決して自分を責めないでください。

あなたはまったく悪くはないのです。

出来ればその感情に向き合ってください。

あなたにとって必要な感情なのです。

感情から逃げないで

今感じていることに意識をそらさず

そこにいることが出来ますように

どうか責めることなく、その感情があることを認め、受け入れる

ことが出来ますように

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航海

船に一度乗るとすぐに降りることは出来ない。

港から港までは少なくとも。

港でどの船に乗るのかはすでに知っている。

心の奥底では「この船だ ! 」ということを知っている。

誰がどの船に乗っているのかとか

他の船はどんな船かを知った上で選ぶのは困難だ。

一度乗ると次の港までは降りれないという束縛感もある。

しかしどうしてその船に乗る必要があるのか
あるいは本当はその船に乗りたいと思っている理由を
知ることで

自分の意志で船に乗るということをたえず忘れなければ

船の舵すら握れるだろう。

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勇気をもらう

ある人をみていて数ヶ月前と比べて「強くなったなあ」と感じるとうれしい。

みんな変化しているし、私も変化している。

でも「この人大丈夫かなあ・・・」とちょっと心配していた人が
自分の力で乗り越えて、変わっていくことはとても喜ばしい。

その人に拍手を送りたいくらい。

私はただ端から見守っていただけなので
変化をいつの間にかおこした彼女は
私の心にとても影響を及ぼす。

強く勇気を与えられる。


ありがとう・・・・。

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闇の領域

ほんとうにまっくらな、灯りがまったくない道を歩くことって
今はそうそうない。
あったとしても女の一人歩きは危険だ。

人といっしょだとまだ歩ける。
ほんのわずかな経験だが、まっくらな道を歩くことがあった。
外国なので街灯もほとんどなかった。

しかし見えないということの不安が最初あっても
だんだん闇はこわくないという気がしてきた。

むしろやさしく包まれているような安心感すらおぼえるほどだった。

視界をつかうことが出来ないと、理性で理解することがない。
それ以外の感覚を使って歩くことになる。

「闇」は音の門と書くが、
目で見えない分、見えてくる別のものへの扉かもしれない。

実際、闇の中にとどまることは難しい。

多分明るいほうへ足を運んでしまうからだ。

でももう一度闇の中で見えてくるものを確認したら
それは自然と光になるのではないだろうか。

実際は闇だけど、自分の目には別の目によって明るくみえるのだ。

そして闇の境目がぼやけてくるまで闇を味わうこと。
心の中でおきていることを冷静にみる。

「痛み」の質は変わるかもしれない。
それは「痛み」の中にしばらくとどまることでもある。

だから無理をする必要はない。
少しずつ目を慣らして、そこに闇があることを知るだけでもいい。

気がつくと真っ暗になっていることもあるのだから。


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親密さ

昨日寝る前に読んでいた本に書かれてあった「親密さ」の定義


「親密さとは、誰かのそばにいて、寄り添いながらも一体化することなく、
自分を分かち合うこと」


このような家族がいったいどれだけいるだろうか。

ほとんど一体化しているか、切り離されているかのようにも感じる。

あまり「親密さ」というものを知らずに育ってきた人のほうが多い。
たとえ誰かのそばにいても
ちっとも孤独感や喪失感を埋められない場合もある。

それは自分を分かち合っていないからだ。

こちらも心を開いて、相手も開いてそばにいること。
ときには離れていてもそれがつながっていると親密さを感じることが
あるだろう。

心の鍵は自分でかけてしまっている。

開けると大変なことになったのは過去の出来事。
今の自分は大人であり、対処出来ると信じるのであれば
あと必要なのは勇気だけ。

いらない出来事や思い出にまつわる感情を流すことが出来ますように・・。
心を開く鍵を手にして、自ら開くことを許すことが出来ますように・・・。

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選択すること

迷っているときはゴーサインだということに
最近気がついた。

迷っている状態はそれをやりたいもしくは行きたいという意志が
あるにもかかわらず、それを阻む気になることがある。

どうしようかなーと思ったときに
すぐにま、いっかと落ち着けるのであれば
必要はない。

なんでも後先考えずに突き進む場合、
迷いがないので、吟味がされていないこともあり、
必要じゃないことも含まれる。

つまり迷いが生じたほうが必要なことが多いということになる。

最終的な決断は自分なので
もしそれでやめたのなら、もうひとつの選択をしたにすぎない。

私の場合、迷っているときの迷い方にもよるが
たいてい小さなことも含めてチャンスであることが多い。

あの人に連絡とろうかな~と思いながら
めんどうになって先延ばししてると
本当はその思ったときが連絡のとり時なんだけど、
チャンスを逃してしまう。

小さな選択でもそれはいつしか大きなチャンスに
なることがある。

選択することは常に自分を信じて行動する力を与える。

ざんざん迷っているときはとりあえずゴーサインだ。

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生まれるスペース

完璧じゃないということは喜ばしいことではないだろうか。

成長する余地はまだあるのだ。
その過程を楽しむこと。

完璧じゃない自分を受け入れること。
だから楽しいと思えたら
もう少し目の前にスペースが生まれるような気がする。

何のために急ぐのだろう。

自分を大切にすることは
自分のまわりに余裕をつくること。

そして初めて呼吸が深くできる。

呼吸が出来なくては心も開かない。
心が開きやすくするためには
空気をたくさん吸えるところに身をおくこと。


心の場所だよ。

何かが出来なかったことを気にするよりも
何かが出来なかったことで見えたことを
次の段階で試してみようかなという余裕

そんな余裕が生まれるには
自分を静かなところに身をおかなくては。

そこにいることをもし拒むのなら
あなたはまだその準備が出来ていないだけ。

気にすることはないのだ。

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